体罰禁止の背景。僕自身、冷静に過去の体罰をふり返ってみた。

体罰禁止の背景。僕自身、冷静に過去の体罰をふり返ってみた。
2020年4月30日
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長く指導をしている人であれば、子どもの頭を平手でたたいてしまったり、悪いことをした子にビンタしたことがある人もいるでしょう。
今は絶対禁止、やったら即追放ですが、自分が選手だったころに、指導者から体罰を受けて育ったことを、今になってもなお、体罰を「良い思い出」であり、「教育」と考えている指導者もいることも事実です。
ではなぜ、そのように考えにしなるのでしょうか?今の時代に、体罰が必要がない理由もあわせて解説します。

過去に自分が受けた体罰を、美化してしまっている

昔であれば、頭をたたかれたり、平手打ちされたりは当たり前でしたが、僕が学生のときも、たまされていました。僕は、体罰は「痛み」と「怒り」でされていたので、正確な回数は記憶にないですが、良い思い出はひとつもないと言い切れます。
過去の体罰を、美化して話している人は、当時でいう「愛情のある体罰」をされていて、今でも体罰は必要である、と考えている傾向にあります。
どうやら、昭和世代のミニバス指導者は、「理不尽な体罰」か「愛情のある体罰」をされたかで、考え方が違うようです。

「愛情のある体罰」も、気づくのは大人になってから

「愛情のある体罰」をされた人は、いまだに体罰はゼロでなくていいと考えているようですが、「あの時、たたかれてよかった」と思えるのって、自分が親のもとから離れた時や、考え方が大人になったときに、初めて理解できるものだと考えました。
そう考えると、今のミニバスの子たちが、仮に「愛のある体罰」を受けたとしても、それに気づくのは約10年以上先の話になります。そして、僕のように、何年たっても「イヤな思い出」として刻まれてしまうこともあります。

今の子は、怖がるだけ体罰は無意味

平成生まれの子、体罰がない環境で育った子にとって、ビンタや頭をたたかれることは、恐怖以外のなにものでもないと考えています。体罰は、肉体的にもダメージがありますが、精神的にも苦痛ですし、悪い意味で一生忘れることのできないトラウマになる可能性があります。

さいごに

いまだに、体罰がないと指導できないと言っている指導者もいますが、その考え方ならば指導者はやめた方が良いでしょう。僕が考えるに、スポーツやってる子に体罰は、必要ありません。
体罰が指導として必要なのは、人の痛みを知らないチカラの加減を知らない理不尽ないじめっ子くらいでしょうか。

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