考えさせることと教えることの違い

考えさせることと教えることの違い
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ミニバスでは、「子どもたち自身が自分で考えてプレイをして欲しい」と言っている指導者をよく見かけますが、課題もないのに漠然と考えることだけをさせても、うまくプレイはできません。かと言って、教えすぎてしまうと選手たちが、考えることをやめてしまいます。
今回はちょっと哲学的な話になるかもしれませんが、考えさせることと教えることの違いや、具体的なアクションプランまで話ができたらと思います。

考えさせることとは

そもそも、バスケでは「選手に考えさせること」が何かを明確にさせないといけません。試合では、いろんなスタイルのチームがいて、その場その場で状況判断をして行く必要がありますが、それに対して指導者が「よく考えてプレイしよう」と選手に伝えても、何をどう考えたらいいのかわからないと思います。
例を出すと、1+1という問題が出た時に「+」の意味がわからない子に「よく考えてみて」と言っても、問題は一生解けません。

教えることとは

逆に、同じように1+1の「+」の意味がわからない子に「これの答えは2だよ。また同じ問題が出たら2と書くと正解になる。」というのは教えすぎになってしまい、次に1+2の問題が出ると、その子は答えを出せません。
最近では、「考えるバスケの会」や、とにかくスキルを教える「バスケット教室」みたいなものが流行っている気がしますが、相反するようで、実はどちらも教えてしまっています。一番脳みその柔らかい小学生に、いろんなものをパターン化し、それを教えてやらせているのです。
バスケットで教えるの代表的なものは【セットプレイ】です。5人全員が、決まった動きをすればノーマークになる人ができて、上手に決まれば点が入るというもの。
当然、試合中に絶対2点取りたいシーンもあるので、チームが勝利するためには必要なのかもしれませんが、個人の考える力を伸ばすことを考えると、そこに選手の考えはありません。
かと言って、先にも述べたように「よく考えてプレイしよう」と言っても、抽象的かつ課題が大きすぎてうまくプレイできません。
ここまで来ると、指導者が試合中におとなしく選手のプレーを見守るベンチがしたいか、それとも、試合中に自分が言ったことを選手にやってもらって、勝つか負けるかを楽しむのどちらかの話になってしまいます。
それはそれで極端な話になってしまうので、教えすぎず、考える力を引き出すようなバスケットをさせるのが指導者の役目なのかなと思いました。
さっきの算数の問題を出すと「正解は教えないけど、+の意味が何かを教えてあげる」のが一番なのかなと思います。そして、数字が増えていけば、考える時間も必然的に長くなっては行きますが、それも次第に早くなっていきますし、時には凡ミスをしてしまうこともある。それがバスケットというスポーツにも当てはめることができるのではないでしょうか。

さいごに

指導者の中に、いつもベンチでワーワー言っている人がいますが、だいたいそういう人は答えを教えているような気がします。逆に、練習からしっかり指導にあたっているコーチは、試合中のベンチはワーワー言っているイメージがないです。
中学、高校もバスケを続けると考えた時に、ミニバスの指導者はやっぱり重要だと改めて確認しました。中学に行ってもミニバスのころのような結果が出ないとか、高校で全く通用しないとか、ミニバスで結果の出ていたチームではよく聞く話ですが、結局を何を指導していたのかと思ってしまうことがあります。
極論ですが大事なのは、バスケットが終わってからの長い人生とも言えるので、やっぱり指導者も選手と同じくらい考えて考えて、指導する立場とし変化にも対応しながら勉強を続けていきたいものです。

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