ミニバスのコーチになって良かった。僕が指導者を始めたキッカケ。

ミニバスのコーチになって良かった。僕が指導者を始めたキッカケ。
2020年6月19日
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今、指導者をされている方も必ず指導者になるキッカケがあったと思います。ちょっとしたキッカケから自分の考え方や人生を変える出来事がたくさんあったでしょう。今回は、僕が指導者を始めたキッカケをお話しします。

母校のミニバスに遊びに行った

学生のころ、部活も引退して退屈な日々を送っていましたが、ミニバスから高校までずっとバスケをする毎日だったのに、突然何もなくなってしまい、ちょっと母校にでも顔を出そうかというのが始まりです。

ちょっと遊びに行ったはずなのに

母校の小学生は、みんな練習を頑張ってるかなと体育館をのぞくと、そこにはとんでもない光景が広がっていました。ダラダラと練習をする男子、保護者と話すと地区で最下位だというのです。1位になれとは言わないが、伝統のある自分の母校が地区で最下位であることに驚きました。

女子にボコボコにされる

では、ちょっと5対5をやろうとなって、男子対女子の練習試合をしました。結果は男子のボロ負けで、相手にもなっていませんでした。卒業生としては、「僕たちの意思を引きついでるチーム」だと勝手に思っていたので、ショックな気持ちと情けない気持ちになりました。

男子が負けた言い訳をしてきた

「君たちは練習してるのか?」と聞くと、「ベストメンバーがたくさんいないから、勝てないだけ」と言うので、「その子はいつ来るのか?」と聞くと「明後日」だったので、また明後日行くことになりました。

男子ベスト対女子ベストで再戦

「ボロ負け」まではいきませんでしたが、10回やって1回勝てないレベルでした。男子は言いました「今日は調子が悪かった」と、横で聞いていた保護者が「いつも調子悪いってこと?いい加減にして」どうやら男子は言い訳ばかりしているようでした。

頼まれてないけど練習に行くようになった

当時の僕は若かったので、「コーチしてくれませんか?」なんて保護者から言われることはありませんでしたが、あまりにもひどすぎる男子をたたきなおそうと勝手に思い、練習日に行くようになりました。
最初は小学生から「来るな!帰れ」と言われていましたが、どんな練習をしたら彼らがバスケをできるようになるかしか考えてなかったので、聞こえていたけど耳に入ってきませんでした。

気づいたらコーチしてた

練習に行くようになり、いつのまにかコーチになっていました。ただ、男子は僕のことを先輩だと思っていたので、彼らが卒業するまで「コーチ」ではなく「〇〇君」と呼ばれていました。自分でも「コーチをやってる」という感覚はありませんでした。

さいごに

ミニバスのコーチを始めるキッカケは人それぞれですが、頼まれてもいないのにやり始めるのは特殊なパターンだと自分でも思いますが、「教える楽しさ」や「小学生の成長の早さ」、ピュアな小学生と心を通わせてバスケを一生懸命取り組むことが、僕にとって最高の思い出になったのです。
遠くに引っ越すことになり、そのチームからは離れてしまい、もうミニバスのコーチはしないのだろうと考えていましたが、大人になりお誘いがあり、気づけば今のチームで10年以上の月日が流れていました。
今はチームを持つ楽しさ、子どもから元気をもらい、一緒に笑い、一緒に泣くことにハマっています。「コーチと出会えて良かった」と言ってもらえるように、これからも勉強します。

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